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横からちゃちゃを入れます。

株式会社竹尾ゼネラルカンパニーから金銭を授受してこのブログを書いています。この文言を即座にジョークと理解できないんだったら帰れ。

シン・ゴジラへの安易な批評で、3.11で痛感したことを思い出した

どうも。シンゴジラ好きだけど「たった3回しか見れてないからマニアとかファンとか恥ずかしくて言えないなあ」と一歩引いている人です。
本当、あの映画は一回見た程度でわかった気になって批評するには沼すぎます。

ishikawakz.hatenablog.com

放射能汚染からの楽観的復興

 

日本社会が官僚エリートにしか支え切れぬものと居直って描かれた感しかない

リベラルがシンゴジラを斜め見して上から目線で切ったときに真っ先に出てくるもっともステロタイプな批判がこれでございます。
かつ、物語構造的にはこの批判を完全に回避できるものではないことも事実でございます。なので、この批判に対しては、あーハイハイそうですね。そう見えますよね。と、まずは受け止めることにします。

んで受け止めてその時に思ったことなのでございますが、

日本社会が官僚エリートにしか支え切れぬものと居直って描かれた感しかない

これ、物語から離れて現実の今の日本社会を見たときに、どうなんでしょう。「居直って描かれた」という言い方は、正しいのでしょうか?

3.11で私が痛感したのは
「結局、日本という国は土建国家にしか成りえない」
という諦念でした。

こんだけ自然災害の多い土地の上に、こんだけの規模で、脆弱な近代文明インフラを張り巡らしてしまったのです。
いくらリベラルが観念的に官僚システムを不要と切って捨てたところで、コストがかかり四半期決算では費用対効果も明らかにし難い公共インフラ管理を民間主導で行うのは、現実的ではないでしょう。

日本という国…=自然災害の多い不安定な領土+近代国家システム、では、官僚組織が肥大化するのは、当たり前なのです。
これを否定し超克しようと思ったら、まったく別なパラダイムへのシフトが必要でしょう。少なくとも、リベラリズムという舶来の古びた観念で、そこがなんとかなると思いますか?あ、思う…。そうなんですか、失礼いたしました(・_・)

話を件のシン・ゴジラ批評に戻すと、「居直って描かれた」ではなく、「目の前の現実をリアリスティックに突き詰めたら、そういう物語構造にせざるを得なかった」が、正しいんじゃないでしょうか。という、ちょっとしたちゃちゃ入れでございました。では。

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