横からちゃちゃを入れます。

株式会社竹尾ゼネラルカンパニーより金銭を授受してブログを書いています。この文言を即座にジョークと判断できない方はご遠慮ください。

【黒歴史研究所】バブルがはじまった日はいつ?暗躍した「ヤクザ」と「山口百恵」。

<目次>

バブルという巨大な分水嶺

黒歴史研究所、というテーマで記事を公開したり、下書きをしたりネタ収集をしたりしているうちに、「バブル」と「ネット」が大きな分水嶺になることに気がつきました。

バブル以前とバブル以後では、時代の空気が決定的にちがいます。そして、ネットがない時代とネットがすでにあった時代とでは、情報量がちがいます。早い話、バブルの出来事についてググっても、当時のリアルタイムの情報は絶対に出てこないのです。

黒歴史!といって2000年代の出来事について調べればネットで沢山の整理された情報が出てきます。2010年代ともなればツイッターをあされば当時のまさにリアルタイムの情報すら手に入ります。
ところが1990年代後半の出来事になると急にむずかしくなってきます。1990年代前半の出来事になると多くはWikipediaすら記述が限定的になり、ブログやホームページでの記述はみんなうろおぼえで書いているらしく同じ出来事に対して記述がバラバラです。

まして、それ以前ともなれば…。

バブルの基準日を知りたい。

情報の不正確さについてはもう「そういうもんだ」と思うしかありませんね。できるだけ一次資料にあたって書きたいところですが、その一次資料すら公正なものかどうか判定に迷う始末なので割り切って「私の記憶ではこうだ!」って書き殴るしかないと腹をくくりました。

ただ。この出来事はバブル期の出来事かそれ以降の出来事か。それだけでもわかればかなり判断がちがってくる気がします。一次資料はたいていその時代のバイアスがかかっているものですが、そのバイアスのかかり方が、バブル時代とそれ以降の時代では、全然ちがうからです。

その基準点が知りたい。バブルはいつはじまり、いつ終わったのか。そう思ったのですが、実のところ「バブルが終わった日」がいつかは、かなり難しい命題です。なので、今回はまず、簡単そうな方から追求します。

「バブルがはじまった日」は、いつ?

不況なのに「バブルがはじまってた」?

私見ですが、「バブルがはじまった日」は、はっきりしています。1985年9月22日です。

…と、言い切ってしまうと異論が噴出するでしょうね。なぜならその後の景気拡大局面は1986年12月からというのが定説で、それまでは「円高不況」で町工場の倒産が続出し社会不安が広がっていたからです。

1985年9月22日に何があったかというと「プラザ合意」です。先進5か国 (G5) 蔵相・中央銀行総裁会議で参加国による協調為替介入が決定、それをきっかけに次の日から急激な円高が進行、日本の輸出産業は、大打撃を受けました。

「…って、おぉおい!バブルどころか、不況になってんじゃんかよー!1985年9月22日、プラザ合意。その説、まちがってんじゃーん!」

まあ聞いてください。なぜ不況なのに”バブルがはじまっていた”と私が考えるのかを。

バブルのきっかけは「地上げ」だった

「日本のバブル経済の実質的な起点は、間違いなく86年にある。それはプラザ合意以降の円高過程で、日本の政策当局が日本経済の競争力を過小評価したことにある」と中前忠は言う。
(永野健二・著「バブル 日本迷走の原点」より)

先に書いたようにこの時期、円高不況により町工場の倒産が続出しました。1985年9月22日から次の年の11月頃までの数字として残っている経済指標の結果を見ても、この時期がバブルだったというのは、一見無理があるように思えます。

ところが、1986年の出来事をしつこくさらっていくと、色々面白い話が湧いて出ます。例えば今日ググっててみつけたのはコレ。

www.dailyshincho.jp

根っからのギャンブル好きで、韓国のカジノでは1億、2億円を平気で張る。自家用ジェットヘリを2台所有し、とりわけ自慢は特注のベンツのリムジン。ワインクーラーやレーザーディスクが装備されたそのリムジン、値段は1億3000万円。

 早坂のもとには、うなるほど金があった。

 この61年、最上恒産は5月期決算で、前年度の40倍という、186億3000万円の法人申告所得を記録。
地上げの帝王と19歳少女の信じがたい純愛…「早坂太吉」最上恒産会長 | デイリー新潮

…不況だったにしては、ずいぶん景気のいいバブリーな話が転がっているものです。

※注:言っときますが、これは1986年の事例だから珍しいんであって、バブル最盛期には、こんなバブリーな人そこらじゅうにいましたからね!!

[PDF]「地上げ屋」「底地買い屋」の暗躍
↑上記PDF資料に詳しいですが、そもそも1980年代初頭から「土地神話」というものがあって、”土地は必ず値上がりする””絶対に下がらない”などといわれていたものです。そんな中、ヤクザ屋さんが「底値買い」といって安い土地を強引な手段で買いあさり、転売で利益を上げていたのです。

…あなたもヤクザ屋さんならピンときましたよね?「いや、私ちがいますし(´・_・`)」。土地が値上がりしている中で、いくら強引な手段でわけありの物件を取得するにしてもそうそう、都合のいい物件なんて出てきませんよ。そこに天祐が来ました。そう、”町工場の倒産が続出”です。

トシちゃんがんばれ!地上げ屋に負けるな!

ちょっとわき道にそれますが、1988年のドラマ「教師びんびん物語」、ストーリーの柱に実は”地上げとの闘い”がありました。

この例に限らずこの時期のドラマでは悪役としてたいてい、地上げ屋が登場します。1986年、円高不況の中でひそかに暴利を上げていた彼らは、1987年ごろにはもうメジャーな悪役として定着していたものと考えます。地上げは、確実に社会問題化していったのです。

円高不況の中、強引な手段で暴利をむさぼる彼らが、敵視されたのは当然のことです。しかし、経済という世界は、一面的な善悪だけでは語れない複雑な世界です。彼らの行為が火種となり、また、そこに政府の過度な超金融緩和政策の影響も重なり、徐々に、バブルの炎は、燃え盛りつつありました。

山口百恵が生み出したうねり。

ときは、一九八七年四月六日月曜日。時代はまだ昭和である。地価と株価が高騰しており、後に「バブル」と呼ばれる時代だが、当時はまだそんな言葉はない。
(中川右介・著「月9 101のラブストーリー」より)

1987年に入るともう、景気動向の過熱は誰の目にも明らかだったようです。

当時は今とちがって、一般人が投資?んなアホな。っていう時代です。まして奥様が不動産投機なんて本当はありえない時代…のハズでした。そんな時代に、今は忘れられているひとつの事件が起こります。1987年、春。
山口百恵さんのマンション転売」です。

【山口百恵さんとマンションの価値について考える!その2】〜山口百恵さんは最高の不動産投資家だった〜 ( 不動産 ) - 「不動産コンサルタント」の長倉です・・・ - Yahoo!ブログ

【山口百恵さんとマンションの価値について考える!その3】〜山口百恵さんはいくらでマンションを売却したかのか?バブルの驚異!〜 ( 不動産 ) - 「不動産コンサルタント」の長倉です・・・ - Yahoo!ブログ

上記記事に詳しいですが、当時、かなり大々的にワイドショーで取り上げられた話です。当時、引退してもまだ百恵さんはカリスマであり、その一挙手一投足をマスコミは根掘り葉掘り追及してたものです。その取り上げられ方も、百恵さんすげー、やはりカリスマ、マネできるもんならマネしたいですねー、という肯定的な感じでした。

なのに、なぜこの件が忘れられているのかというと、続報が一切なかったからです。

当時のマスコミがいかにパパラッチ的に必死に百恵さんの行動を追いかけていたかを考えると、”山口百恵の不動産投機”という話がその後まったく出てこなかった理由は、その後一切やらなかったから、としか考えられません。ただの一回で、完全に足を洗ったのです。

なんという引き際の鮮やかさ。芸能界からも不動産投機からも「最高のタイミングで身を引いた」、それが、山口百恵という人です。

…ですが、その報道にあおられたお金持ちの有閑マダムたちが、百恵さんに続けとばかりに、我先にと不動産投機に走りました。百恵さんの話がワイドショーに出てこなくなった代わりに、そういうマダムたちの成功譚が取り上げられ、またたくまに、ごく普通の主婦にまで、その流れが広がっていきました。

数年後の悲劇など、予想だにしないままに。

まとめ。

プラザ合意から、内閣府による景気基準日付・第11循環に至る円高不況の局面の中、すでに、指標には表れない「局所的なバブル」が、発生していたものと考えます。そしてその延長線上に、1987年、不動産投機の一般社会への拡大があった…局所的なバブルが、連続的に巨大な景気拡大へと切れ目なく続いていったことを考えれば、やはり、バブルの開始日は「1985年9月22日」。プラザ合意をきっかけに、バブルははじまっていったのです。

今回は以上です。そのうち、気が向いたらバブルの終わった日についても、追求したいと思います。

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