発達障害同士の親子の悲劇

 

今週のお題「おとうさん」

これまたやっかいなお題が来たものです。今回はスルーしたいところですがなんとか書いて見ましょう。

最近、とある事件がもとで、発達障害」というキーワードが議論を呼んでいるわけですが。これはあくまでも個人的な意見なのですが、発達障害で一番悲劇を産みやすいのが「親子ともに発達障害」という組み合わせです。お互いに感情表現に問題を抱え、しかもお互いに察する、という能力にも問題を抱えているのでこれはもう、相互理解不能と言っても過言ではないでしょう。その上で、攻撃的な気質…狭ーいところに落ち込んでドカンと感情が爆発する…も併せて持っていたら、虐待や家庭内暴力が容易に起こります。

感情が爆発したら何しでかすかわからず、自分の感情さえスッキリすればあとはどんだけ子どもを放置しておいても平気。まあ今にして思えば、私のおとうさんは、そんな人でした。

父の日とは、おとうさんの健康と長寿を祈る日でありましょう。まあ父の日くらいは、祈ってもいいです。おとうさん、健康で長生きしてください。蓄財に長けたおかあさんのチカラに乗っかったことで、「そんなあなたでも」老後の生活には不自由ないでしょう。ぜひ残りの人生を楽しく全うしてくださいね。そして、

そのかわり今後いっさいオレの人生に関わるな。

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人生いろいろ、政治もいろいろ。小泉純一郎元総理の言葉です。政治には「まさか」という坂がある。これも小泉純一郎元総理の言葉です。いやホント、これぞ人生の「まさか」ですよ。まさか、老境の父が、今頃になってあんなすごいやらかしをするなんて。口の悪い言い方ですが「うわーコイツ終わったわー(´・_・`)」って、思いましたもんね。

私ね、そのあとずっとね、うわごとみたいに「人生には、まさかという坂がある…人生には、まさかという坂がある…(´・_・`)」って、言い続けてしまいましたもん。びっくりしたし、ホント困ったなと。

結局この人は、感情が暴発するままに中学一年生の時の私をウツ病に追い込むやらかしをやっておいて、自分はスッキリしてケロリと忘れている…あの時から、1ミリも成長していないのだなと思うわけです。そして今回も、やらかした挙句自分自身はスッキリするであろうことを考えると、「スッキリさせない」方がご本人のためです。

お判りでしょうか。今や多分、地球上の誰よりも、私が、おとうさんの理解者なのです。彼に対して「手ひどい断絶」を断行したこの、不肖の子がね。私自身が抱えている人生の問題点を直視すれば、それが父の抱えている問題点と通底していることにいやが上でも気づくのです。

お互いの問題点を直視することだけが、タダでさえ相互理解が困難である発達障害者同士の親子が相互理解する唯一の道なのです。

こういう相互理解しかできないのはまあ、悲劇というしかないですね。

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