セーラー服と機関銃には「原田知世バージョン」が存在する。(「時をかける少女」という奇跡の映画の前日譚として

 

セーラー服と機関銃、か。…そういや、セーラー服とおまんじゅう、などと発言した人もいたなあ」
「誰だよ」
原田知世セーラー服と機関銃で、悪事がバレて原田知世に追い詰められたおじさんが、ごまかそうとしてとっさに言ったひとこと」
「知るか!((((;゚Д゚)))))))」

実はあるんです。原田知世版。

<目次>

原田知世デビューまでの経緯。

とにかく、私が原田知世セーラー服と機関銃について覚えているのは前述のシーン、”セーラー服とおまんじゅう”というセリフがあったということだけですので「なんでそこ限定なんだよ!」今回、細かい点についてはワキペディアで調べてみました「ウィキペディアだ!」

原田知世さん、1967年生まれ。1982年4月、14歳のときに「角川・東映大型女優一般募集」オーディションで特別賞を受賞しました。そうなんです、グランプリではないんです。当時も、原田知世さんばかりにチカラを入れて、せっかくグランプリを取った演技力もある渡辺典子さんがかわいそう、みたいな声がありました。

そして翌1983年、伝説の映画「時をかける少女」でデビュー。…と、思い込んでいる人がたくさんいます。それだけあの映画の印象が鮮烈だったということですけど、実はオーディションに合格してすぐ、ドラマ主演もしていればその主題歌でレコードデビューもしているんです。

1982年7月5日。 この日こそが、彼女にとっては、デビューの日ということになるんでしょう。この日、フジテレビドラマ「セーラー服と機関銃」の放送開始。いきなりの主演デビュー!

同日、デビュー曲「悲しいくらいほんとの話」も発売されました。まあ私は、セカンドシングル「ときめきのアクシデント」の方が好きだけど。 「って、知らんわ!(・_・;」

なぜ黒歴史となったか。至極当然の理由

ともかく、彼女はオーディションでグランプリを取った渡辺典子さんより先に、アイドルとしてエリートコースのデビューを果たしました。が。

まあ、正直この時点では注目度は低かったといわざるを得ません。 後番組「ねらわれた学園」でも引き続き主演、前述の主題歌「ときめきのアクシデント」も発売されましたが、、、

ゴールデンタイムのドラマに二作連続で主演すれば”お茶の間のみなさま”(当時はこういう表現がまだ通用してた時代だったなー)にもっと強い印象を残しても良さそうなものですが、さすがにまだ14歳のろくにレッスンもしていない子どもでは、演技力も拙く、地味な印象でした。

なにしろ、毎週見てた私が、覚えてるのがその”セーラー服とおまんじゅう”1シーンだけですから、どんだけ印象薄かったかってことですよ。当時カドカワアイドルといえば薬師丸ひろ子さんという絶対的エースがいましたし、完全にその影に隠れてしまった感があります。

芸能界を辞めるハズだった?

もしかしたら、この1982年のイマイチ突き抜けきれない状況こそが、翌年、「時をかける少女」という奇跡の名画を産み出した伏線となっているかもしれません。

というのも、事実関係はともかく、大林宣彦監督は

「これ1本を彼女にプレゼントして映画界から辞めさせようという映画だったんです」

と発言しているそうです。

知世の中学の卒業から高校の入学までの28日間で撮ったんですが、これ1本を彼女にプレゼントして映画界から辞めさせようという映画だったんです。彼女は女優になるんじゃない。普通に女学生としてこれから生きていく子だから。
(※Wikipediaより。元はラジオ番組「ライムスター宇多丸のサタデーナイトラボ」での発言と思われる)

事実であれば、もしかしたら彼女には、高校進学を機に芸能界をやめて学業に専念する話もあったのかもしれません。 それがゆえに強行スケジュールが組まれ、中学校を卒業して高校に入学するまでの、まさに端境期での彼女の姿をたまたまスクリーンに焼き付けることに成功したのではないかと。

この映画と知世は天の配剤めいていた。映画の神様が降りて来たんでしょうかね。あの頃の知世でしか撮れなかった。半年遅れても撮れなかったでしょう
Wikipediaより。元は「週刊現代」2012年8月4日号、「大林宣彦×角川春樹時をかける少女原田知世を語ろう」)

…中学生時代の芸能活動で飛びぬけた成果を出していたら、このような奇跡的なタイミングがあり得たかどうか?

そして多くの人が誤解しているところですが素人同然の無名の新人だからこそ出せた味なのでは、というのは微妙にちがうんです。その時点で、既にゴールデンタイムの連続ドラマの主演を二作連続こなした大物新人です。拙いとはいえ演技の力量は未知数でもなんでもなく計算が出来た。

原田知世セーラー服と機関銃。 その後いっさいパッケージ化されていない歴史の境目に消えてしまった作品ですが、実はこの作品があったからこそ、「時をかける少女」という奇跡の名画は、産まれたのではないでしょうか。

彼女の人生を変えた28日間。

時をかける少女」という、奇跡の映画。奇跡の映画には奇跡の現場ありで、上記の事情で超強行スケジュールになった撮影現場で、とにかく原田知世さんは輝いていた、その力を、開花させた。

「彼女が、実はねあの小さな体で大飯食らいでしてね、」
大林宣彦監督・談(「時をかける少女」DVD特典映像より)

徹夜、徹夜の現場で八食、十食たべる。夜中に、率先してスタッフに豚汁を配る、「知世ちゃんも食べた?」「はいっ!」といって二杯も三杯も元気におかわりする。

そんな様子見てたらみんな、ようし、この子のためにがんばろう!って気持ちになるし、監督ももっと素晴らしい物語にしてやる!って何度も台本書き換えますよね。

でもね。その28日間、彼女はなぜそんなにがんばれたのでしょう?どんな決意をもってのぞめば、そこまでの力を発揮できるのでしょうか?もしかしたら最後かも、という思いで全力を出し切ったのか。あるいは単に、いまいち成果を挙げ切れなかった去年の自分を変えたかったのか。いずれにせよ、1982年の彼女なしに「時をかける少女」という奇跡の名画は、ありえなかったのです。

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