秋元康にはいずれ天罰がくだる?

 

今回の黒歴史研究所は、秋元康さんが怯えるやがてくる”天罰”について語ります。

 

ロスジェネ一年生は、実は大学生の時はバブルを満喫していた。

高校の同級生の多くが東京の大学に行ったのですが、彼らは口を揃えて「就職したら、収入が下がった!」と嘆いていたものです。

彼らはバブルの東京で、学業の傍らちゃちゃっとバイトするだけで普通のサラリーマン以上の収入を得ていたものです。今とは比較にならないくらいの人不足で、しかも景気がアホみたいによかったので企業が湯水のようにじゃぶじゃぶと人件費を投入して豪快に人集めをしていたからです。

フリーター、という言葉はその頃できたのですが当時は「クソ真面目にサラリーマンなんかやってるヤツはアホ、バイトで稼ぐ方がラクしてもっと稼げる」という文脈で使われていたもので、今のような否定的ニュアンスは微塵もありません。これもひとつの黒歴史です。

そんな彼らが親の圧力で渋々就職したり、あるいはなーんも考えずそのまんまぶらぶらフリーターやってるうちにバブルが崩壊、そのまま収入が一切上がらないどころか下がる悲劇に直面し
「…(学生時代にいい思いをし過ぎた)天罰かよ!(´・_・`)」
と嘆いてきたのが我々、ロスジェネ一年生なのです。

秋元康はバブル以前に、大学生の分際でサラリーマンの4倍稼いでいた。

ところが、バブルが来るその前にすでに、大学生の分際でサラリーマンをはるかにしのぐ収入を得てバブリーな生活を満喫していたブタがいます「って、ヒトじゃねえのかよ!((((;゚Д゚)))))))」

それが、秋元センセーです。

秋元康 - Wikipedia

アイドルオタには常識かつ基礎教養ですが、秋元康さんは高校時代になにげなく書いたネタノートをニッポン放送に送ったことがきっかけで、大学生にして放送作家としてのキャリアをスタートさせていました。

Wikipediaによれば、その時すでに

当時のサラリーマンの4倍近い収入を放送作家業によって得ていた。

とのことです。最初に書いたようにバブル期には大学生でサラリーマン以上稼いでるヤツなんて珍しくもなかったのですが、当時としては驚天動地、空前絶後のバチあたりです。

バブルが来る前にすでにバブリーな生活を満喫していた。

大学生の秋元青年がどんな生活を送っていたかというと、

「クルマの後ろに、やりもしないのにテニス道具一式を積み込み、そのクルマで放送局に通っていた」。




…(´・_・`)

石田純一でもなかなか思いつかないようなバブリーな行動です。しつこいようですが時代が下がってバブル期になるとそんな浮かれまくった大学生なんて珍しくもなんともなかったのですが、当時は、さぞかし周囲から白い目で見られただろうと思います。

やがて来る天罰におびえる秋元センセー。

そんな彼の行動を見かねた親は、彼にこう説教したといいます。

「そんな生活してると、いずれ天罰がくだるよ!」

至極まっとうな意見だと思います。特にバブル前のクソ真面目な時代ですからね。

さて、それを聞いた秋元青年がどう思ったかというと。

「それ以来、僕はずっと、いつ天罰がくだるのか怯えながら生き続けているのです」




…(´・_・`)

 

 

 

 

 

早くくだるといいですねー!(にっこり

おわりに

まるで長い夢を見ているようでした。

 

僕の時計の針は高校2年で止まっていました。

秋元センセーでさえ、人生進む道に迷い、立ち止まった時期があるというのは意外でした。

秋元康の仕事術」という本には、30歳にして仕事をやめ、アメリカに渡ったハナシが書かれています。

天罰に怯えてる云々の発言は多分、おニャン子成金として多くの人に知られた頃の発言だったと思います。その頃の秋元センセーは、成功者よ時代の寵児よともてはやされながらも、成り行きでそうなってしまった自分に、不安感を抱えていたのかもしれませんね。

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結局、美空ひばりさんの曲を書いて欲しい、という依頼で日本に戻り、それが「川の流れのように」の大ヒットにつながります。

美空ひばりという国民的スターに、詞を頼まれる…権威に認められる、というプロセスがあってはじめて、彼は自己承認をすることができたのかもしれません。

あと、
親といえども天罰がくだる、などという酷い言葉を使って脅迫をするな。

それは言葉の暴力ぞ。以上。