まだ「コメント欄」で消耗してるの?とイケハヤ師は言った -「インタラクティブ」に踊らされるな-

 

今回の黒歴史研究所のテーマなんですけど、イケダハヤトさんがこういう発言をした、ということがテーマ…では、ありません。

オールドブロガーたちよ、思い出せ。

ブログのコメント欄がかつて、最先端のコミュニケーションツールと期待されていたことを。

 

<目次>

※今回のBGMはぜひ「パリは燃えているか」でお願いします。

 

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第1章 掲示板は、荒れ狂った

 

「本人に直接文句を言えないシステム」?

いきなりですが、例えばなしをひとつ。

学校で子供が、うっかりすげーひどいことを言って、それを聞いてた別の子供が、自分が言われたわけじゃないんだけど無茶苦茶ハラを立てたとしますね。

だけどなぜか学校で、その場で直接文句は言えないと思ってください。禁じられているとかではなくて、システム上物理的に文句を言う手段がないっつーか、まあそこは例えばなしなんでざっくり「そういうもんか」と思ってください。

んで学校で文句言えないんだけどどうしても文句言いたいので、家に文句を言いに行くわけですよ。ひどいこと言った子供が家に帰って家族と和気あいあいと過ごしているところに乗り込んで行って「このやろう!」ってわけです。明らかに場違いです。

そこに、全然関係ない通りすがりの悪ガキが、全然関係なく「騒がしくて面白そうだからちょっとこの家に上がって悪さをしてやろう」って勝手に入ってきます。もう大騒ぎです。

これが、ブログ以前のオールドでグッドで古き良き個人ホームページの「荒れる掲示板」です。

 

「荒れる掲示板」に手を焼く”ホムペ主”

静的HTMLをゴリゴリ手書きしてお腹すいたー、カレー食べたいー、などとありきたりの日常を記していた石器時代Web上のインタラクティブなコミュニケーションツールといえば掲示板を別に用意するのが作法というものでした。

掲示板は、ホムペ主のものであってホムペ主だけのものではありません。ホームページ読者のコミュニティでもあったわけです。有名個人ホームページの掲示板には必ず常連がいて、その中には、超古参のむしろハッカーと呼んだ方がよい古強者(ふるつわもの)ネットユーザーがいたものです。

そんな一癖も二癖もある常連たちがコテハンで」「マターリ」「馴れ合い」してるところに、可哀想な荒らしくんが闖入してくるわけです。ほら、おいでなすった。可愛がってやるぜ。と大喜びで総攻撃します。まるでばい菌を見つけた白血球のようなはしゃぎっぷりです。

…もちろん、そんな常連たちの先頭に立って自ら大喜びで荒らしを攻撃する有名ホムペ主もよくいたんですが、

正直、他所でやってくれんかなー…(´・_・`)

と苦々しい思いを抱えていたホムペ主も、多かったわけでございます。

 

第2章 そして、ブログは炎上した

 

ブログの登場、期待された「コメント」機能

私の記憶では、日本にMovable Typeが普及しはじめライブドアココログがブログサービスを開始。それに伴い、ブログっていう、すっごいいいツールがあるよ!と喧伝されはじめたのは、2003年だったと認識しています。

単に記事を書くのがカンタンになるだけでなく「コメント」というインタラクティブツールがついてて、それによって掲示板みたいな「荒れる」という現象がなくなるよ!と夢みたいなことを言うのです。

理由は単純で、この頃荒らしというのはどちらかといえば、理由なく無意味に乱入してくる輩、という認識が強かった。好き放題トピックを立てられる掲示板と違いブログのコメントは必ず記事と一対であり、記事の内容と無関係な書き込みは人間心理としてやりにくく、かつ記事内容に対する真剣な討論が即される(ここは後で重要なので強調)からふざけた荒らしは減るだろう、ということです。

まあ、今考えると、なんと楽観的な発想かよと(´・_・`)

 

「荒らし」が消滅し「炎上」が誕生した単純な理由

鋭い人なら、もう気づいたでしょうか。

先の学校の例で言う、
学校で直接文句を言うシステムが実装されてしまったのです。

「真剣な議論を即す」は、確かにその通りになりました。なので、勢いでまちがったことを書いたら瞬時に猛攻撃に晒されることになりました(´・_・`)

さらにそこに横から乱入してくる輩も変化しました。オールドでグッドで古き良き個人ホームページ時代にはあくまでも「通りすがりの面白半分の愉快犯」という意識でした。しかしもはや、まちがったことを書いたブログ主を攻撃する正義の集団に味方する十字軍として、大手を振って悪を懲らしめにくることができるようになりました。

「炎上」の爆誕です。

ブログで自滅する人々(第1回)~ブログで「祭られる」人々 - 日経トレンディネット

2005年のこの記事をはじめて読んだ時は震えが止まらなかった((((;゚Д゚)))))))ものですが、当時の認識は炎上は2ちゃんねるが原因だ、という感じでした。ですが実は、ブログのコメント機能というシステムの特性による部分も大きかったのではないか、私は、そう考えます。

そして掲示板とちがって、無関係に常駐しているめんどくさい常連、などというものは、いなくなりました。白血球がいなくなったのです。哀れ、孤独なブログ主は味方のいない中で大軍に蹂躙される、悲惨な戦いというよりほぼリンチに晒されることになったのです。

 

第3章 SNSは戦場と化した

 

戦場あるある「戦訓による防御力強化」

mixiが勃興したかと思えばたちまち没落し、Twitterはいつのまにか「コテハン2ちゃんねる」に変容し、実名主義Facebookですら実名でガンガン炎上したりされたりする苛烈な戦場と化したSNS時代は、歴史として語るにはまだ現在進行中の事案なので細かく語ることはやめとくとして。

ただ、ひとつ言いたいのはこれらSNSはみなブログ炎上時代の後に出来たシステムであり、その”戦訓”を取り入れて様々な防御策が取られている、ということです。

もちろん、未だに使っているもの好きなみなさんはよくご存知でしょうが、コメント機能だって進化を止めたわけではありません。今では、はてなをはじめとする有名ブログサービスはその気になれば、コメント機能のとことんクローズドな運用ができる…でも、それがなんなんですか。意味あるんですか。SNSで十二分なのに、なんで余計なコトするんですか。

 

そして「まだコメント欄で消耗してるの?」

繰り返しますが、コメント欄というのは「情報リテラシーが低いおっさん」「悪意ある書き込みをする暇人」を集める装置にしかなりません。なので、コメント欄はさっさと閉鎖してしまいましょう。振り回される暇があるなら、さっさと記事を作ってください。
まだ「コメント欄」で消耗してるの? : まだ仮想通貨持ってないの?

イケダハヤト氏が言うように、コメント機能は今や、百害あって一利なしです。一利もないのに、なぜにそんな必死に百害を排してコメント機能を維持しようと頑張るのでしょうか。頑張ることが好きなんでしょうか。ブラック企業でしょうか(´・_・`)読者との交流の場が欲しいなら、SNSへの誘導に知恵を絞るべきです。

私自身はといえば、2004年にテスト的にブログを作ってみたときすでに、本能的に「理由はわかんないけど、なんかこのコメント機能ってのはヤベえ」と思い、デフォルト閉じておいて、「掲示板」とタイトルをつけた一部記事のみコメント有効にしてそこへのリンクをサイドバーに貼る…とか、変則的な運用を試しまして、

…んで先の「ブログで自滅する人々」を読んで((((;゚Д゚)))))))ってなってからは、完全にコメント機能を無効にしといて「別に掲示板を立てる」という個人ホムペ同様の運用にしました。んでSNS時代になると、しばらくはブログというものがあることすら忘れていました。

最後のシメとして、もう一度お尋ねします。そしてあなたたちは、まだ「コメント欄」で消耗してるの?(´・_・`)

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