【書評】アラブ人とユダヤ人―「約束の地」はだれのものか (1)

 

例えばね。

大きな戦争とか起こった時に、現地の敏腕記者が、精緻な文章で迫真の最前線レポートを送ってきて、それが新聞の一面ぶち抜きで掲載されている、そんなイメージを持ってみてください。

そんな精緻なレポートが、771ページにも渡って展開されている…そんな本。 「アラブ人とユダヤ人―「約束の地」はだれのものか」。大書です。

■(Amazonリンク)アラブ人とユダヤ人―「約束の地」はだれのものか

「(訳者あとがきより)本書は『ニューヨーク・タイムズ』特派員デイヴィッド・シプラーが、1979年から84年にかけてエルサレム支局長としてイスラエル社会を縦横に経めぐり、観察し、記録・分析したルポルタージュDavid K. Shipler,Arab and Jew: Wounded Spirits in a Promised Land, Times Books, 1986の全訳である。」

つまり、作者は、5年の長きに渡りその土地に住み着き、現地の風を生々しく感じ、時には「愛情と嫌悪感とをつのらせ(まえがきより)」ながら、膨大な取材活動を行い、この重量級のレポートを書き上げたわけです。  

そんな本を、とても一気には読みきることが出来ず、一週間以上の長い時間をかけて読み込んでいくうちに、いつしか、私の中にも、彼が旅したイスラエルとその占領地の風景が広がっていきました。 彼の目を通して。彼の精緻な眼力の力を借りて、私も、1980年代のパレスチナを旅したのです。

様々な風景がありました。

エルサレムの石畳、点在する宗教施設や遺跡。テルアビブの近代的な町並み。ベドウィンが行きかう荒涼たる砂漠。希望に燃えたユダヤ人たちが開拓するキブツ(共同村)。それを複雑なまなざしで見つめる、アラブ人たちの古めかしい村落。

様々な人々に出会いました。

一口にユダヤ人といっても様々な人がいます。 多少イスラエルという国を知っている人でも、ユダヤ人たちがやってきてアラブ人を追い出した、という単純なイメージを持ってる人も多いかと思います。事実は、元からパレスチナに住んでいたユダヤ人も多いのです。彼らはおおむね、アラブ人たちと仲良くやってきました - イスラエル建国までは。

移民たちも様々です。ヨーロッパ系のユダヤ人たちは、イスラム文化圏から移住してきたユダヤ人達を「アラブ人臭い」と差別しています。そんな差別にあうユダヤ人は、むしろアラブ人と話している方が落ち着く…そんな人すらいます。

もちろん、アラブ人も色々です。 アラブ国家に住む人々は、自身のアイディンティティにそれほど悩まなくて済むでしょう。 勿論、その中にもユダヤ人に対して攻撃的な人もいれば友好的なひともいる。

複雑なのは、イスラエル支配下にあるアラブ人です。 彼らは大きく二つに分かれます。イスラエル市民であるアラブ人と、占領地区のアラブ人です。 イスラエル市民であるアラブ人も、ユダヤ人と同じ権利は持っていない(例えば、つきたくても兵役につけない)。さらに占領地区のアラブ人となるとろくな権利もないばかりか、いきがったアホのユダヤ兵の若者に気まぐれに殴られたりもする。

そして、…次第に、イスラエルの中で、ユダヤ人はユダヤ人で、アラブ人はアラブ人で固まって生活する傾向が出ている。そして無理解が生じ、しらずしらずのうちに、互いに偏見を育てていく。

そんな様々な人々の姿について、次回のエントリーでさらに書き綴ってみたいと思います。

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