バブルが終わった日は…1997年11月24日?それ遅すぎない?(´・_・`)
そもそも「この日付」がもっと前だったと思ってたんですよね。意外なくらい遅い。自分の実感とはげしくズレがある。
この記事では、当時を知る人たちの証言と、私自身の実感、それにWeb上の情報、書籍の情報など照合し、「バブルが終わった日」に迫ります。
続きを読むあなたは布施博から現場を守れるか。-共演NGを宣告した大スターとは?-
<目次>
直感で「トシちゃん?」ただし異論も
発端は、2017年5月におこったこの件でございます。
続きを読む俳優・布施博(58)が27日、テレビ朝日系「土曜あるある晩餐会」に出演。「日本を代表する年下の大スター」と「火曜サスペンス劇場」で共演した際、共演NGを宣言されたことを激白。「ぶち殺してやろうかと思った」といまだ消えない怒りをぶちまけた。
布施博 「年下の大スター」から共演NG宣告の過去…「クソガキが!」/芸能/デイリースポーツ online
セーラー服と機関銃には「原田知世バージョン」が存在する。(「時をかける少女」という奇跡の映画の前日譚として
「セーラー服と機関銃、か。…そういや、セーラー服とおまんじゅう、などと発言した人もいたなあ」
「誰だよ」
「原田知世版セーラー服と機関銃で、悪事がバレて原田知世に追い詰められたおじさんが、ごまかそうとしてとっさに言ったひとこと」
「知るか!((((;゚Д゚)))))))」
実はあるんです。原田知世版。
<目次>
原田知世デビューまでの経緯。
とにかく、私が原田知世版セーラー服と機関銃について覚えているのは前述のシーン、”セーラー服とおまんじゅう”というセリフがあったということだけですので「なんでそこ限定なんだよ!」今回、細かい点についてはワキペディアで調べてみました「ウィキペディアだ!」
原田知世さん、1967年生まれ。1982年4月、14歳のときに「角川・東映大型女優一般募集」オーディションで特別賞を受賞しました。そうなんです、グランプリではないんです。当時も、原田知世さんばかりにチカラを入れて、せっかくグランプリを取った演技力もある渡辺典子さんがかわいそう、みたいな声がありました。
そして翌1983年、伝説の映画「時をかける少女」でデビュー。…と、思い込んでいる人がたくさんいます。それだけあの映画の印象が鮮烈だったということですけど、実はオーディションに合格してすぐ、ドラマ主演もしていればその主題歌でレコードデビューもしているんです。
1982年7月5日。 この日こそが、彼女にとっては、デビューの日ということになるんでしょう。この日、フジテレビドラマ「セーラー服と機関銃」の放送開始。いきなりの主演デビュー!
同日、デビュー曲「悲しいくらいほんとの話」も発売されました。まあ私は、セカンドシングル「ときめきのアクシデント」の方が好きだけど。 「って、知らんわ!(・_・;」
なぜ黒歴史となったか。至極当然の理由
ともかく、彼女はオーディションでグランプリを取った渡辺典子さんより先に、アイドルとしてエリートコースのデビューを果たしました。が。
まあ、正直この時点では注目度は低かったといわざるを得ません。 後番組「ねらわれた学園」でも引き続き主演、前述の主題歌「ときめきのアクシデント」も発売されましたが、、、
ゴールデンタイムのドラマに二作連続で主演すれば”お茶の間のみなさま”(当時はこういう表現がまだ通用してた時代だったなー)にもっと強い印象を残しても良さそうなものですが、さすがにまだ14歳のろくにレッスンもしていない子どもでは、演技力も拙く、地味な印象でした。
なにしろ、毎週見てた私が、覚えてるのがその”セーラー服とおまんじゅう”1シーンだけですから、どんだけ印象薄かったかってことですよ。当時カドカワアイドルといえば薬師丸ひろ子さんという絶対的エースがいましたし、完全にその影に隠れてしまった感があります。
芸能界を辞めるハズだった?
もしかしたら、この1982年のイマイチ突き抜けきれない状況こそが、翌年、「時をかける少女」という奇跡の名画を産み出した伏線となっているかもしれません。
というのも、事実関係はともかく、大林宣彦監督は
「これ1本を彼女にプレゼントして映画界から辞めさせようという映画だったんです」
と発言しているそうです。
知世の中学の卒業から高校の入学までの28日間で撮ったんですが、これ1本を彼女にプレゼントして映画界から辞めさせようという映画だったんです。彼女は女優になるんじゃない。普通に女学生としてこれから生きていく子だから。
(※Wikipediaより。元はラジオ番組「ライムスター宇多丸のサタデーナイトラボ」での発言と思われる)
事実であれば、もしかしたら彼女には、高校進学を機に芸能界をやめて学業に専念する話もあったのかもしれません。 それがゆえに強行スケジュールが組まれ、中学校を卒業して高校に入学するまでの、まさに端境期での彼女の姿をたまたまスクリーンに焼き付けることに成功したのではないかと。
この映画と知世は天の配剤めいていた。映画の神様が降りて来たんでしょうかね。あの頃の知世でしか撮れなかった。半年遅れても撮れなかったでしょう
(Wikipediaより。元は「週刊現代」2012年8月4日号、「大林宣彦×角川春樹 『時をかける少女』原田知世を語ろう」)
…中学生時代の芸能活動で飛びぬけた成果を出していたら、このような奇跡的なタイミングがあり得たかどうか?
そして多くの人が誤解しているところですが素人同然の無名の新人だからこそ出せた味なのでは、というのは微妙にちがうんです。その時点で、既にゴールデンタイムの連続ドラマの主演を二作連続こなした大物新人です。拙いとはいえ演技の力量は未知数でもなんでもなく計算が出来た。
原田知世版セーラー服と機関銃。 その後いっさいパッケージ化されていない歴史の境目に消えてしまった作品ですが、実はこの作品があったからこそ、「時をかける少女」という奇跡の名画は、産まれたのではないでしょうか。
彼女の人生を変えた28日間。
「時をかける少女」という、奇跡の映画。奇跡の映画には奇跡の現場ありで、上記の事情で超強行スケジュールになった撮影現場で、とにかく原田知世さんは輝いていた、その力を、開花させた。
徹夜、徹夜の現場で八食、十食たべる。夜中に、率先してスタッフに豚汁を配る、「知世ちゃんも食べた?」「はいっ!」といって二杯も三杯も元気におかわりする。
そんな様子見てたらみんな、ようし、この子のためにがんばろう!って気持ちになるし、監督ももっと素晴らしい物語にしてやる!って何度も台本書き換えますよね。
でもね。その28日間、彼女はなぜそんなにがんばれたのでしょう?どんな決意をもってのぞめば、そこまでの力を発揮できるのでしょうか?もしかしたら最後かも、という思いで全力を出し切ったのか。あるいは単に、いまいち成果を挙げ切れなかった去年の自分を変えたかったのか。いずれにせよ、1982年の彼女なしに「時をかける少女」という奇跡の名画は、ありえなかったのです。
人にはそれぞれの歴史があり、人生を変えた決定的な出来事の陰には、そこにいたるまでの、黒歴史がある。当ブログでは今後も、そんな黒歴史を追求していきたいと存じます。ご興味のある方はどうか、読者登録やブックマークをお願いいたします。
発達障害同士の親子の悲劇
今週のお題「おとうさん」
これまたやっかいなお題が来たものです。今回はスルーしたいところですがなんとか書いて見ましょう。
最近、とある事件がもとで、「発達障害」というキーワードが議論を呼んでいるわけですが。これはあくまでも個人的な意見なのですが、発達障害で一番悲劇を産みやすいのが「親子ともに発達障害」という組み合わせです。お互いに感情表現に問題を抱え、しかもお互いに察する、という能力にも問題を抱えているのでこれはもう、相互理解不能と言っても過言ではないでしょう。その上で、攻撃的な気質…狭ーいところに落ち込んでドカンと感情が爆発する…も併せて持っていたら、虐待や家庭内暴力が容易に起こります。
続きを読むキミら日大の監督とコーチをよく笑えるなあ
やっちゃイケナイ対応を毎日のように少しずつちょい足ししていってドンドン燃え広がるまさに「炎上の理想形」と申しましょうか。様々な分野で炎上防止のナレッジが浸透してる現在におきましてはなかなか目に出来ないおいしい案件でございます。
しかし正直なところ、おもしろがってる場合じゃないのです。
続きを読む大の大人が5人も揃ってマトモな奴は松岡だけか
まあTOKIOの話題なんですけれども。
結果的にキビシイ処分になったから見逃されてる気がしますがあの、4人での記者会見。全文を読むと、なかなかにグダグダ感を感じます。
正直、なかなか山口の憔悴しきっているその姿を見たとき、23年一緒にやってきた仲として、「そうか辞めてくれ」と言えない私たちがいました。
TOKIO謝罪会見 全文掲載「山口は何度も何度も同じことしてしまったと。じゃあ次もやるな」(松岡)
結果論ですが結果的に辞めさせるのであれば記者会見の前に結論を出してこう結論を出しました!とスパっと言い切る会見にした方が良かったのですけどもそれができなかったのはやはり残されしTOKIO4人のメンバーにも良く言えば迷い…悪く言えば甘えがあったのでは。
あえてうがった見方をしてしまったら世間の反応次第では辞めさせなくてもいいかもみたいな姿勢にも取られかねない会見です、客観的に見れば完全に、辞めさせなければアウトな案件にもかかわらず。
この結論が、皆さんにとって「TOKIOは甘い」「リーダーは甘い」「メンバー全員甘い」、いろんな声があると思っております。
いろんな声があると思っているからなんだって言うのでしょうか。そんな中「視聴者の一人」という言葉で明快に自己批判したのが松岡さんです。
「TOKIOに戻りたい」「俺にはTOKIOがある」「TOKIOに帰る場所がある」。もしそういう気持ちが少しでも彼の中にあり、その甘えの根源が僕らTOKIOだったとしたら、これはあくまで自分の意見ですけども、そんなTOKIOは一日も早く無くしたほうがいいと思います。僕がテレビを見てたら、そういう視聴者の一人になっていたと思いますので。
恐らくあの時の彼は、自分が崖っぷちではなく、自分が崖の下に落ちていることに気づいていなかったのだと思います。
個人的なハナシですが私個人は現在個人的に崖の下に落ちておりますので、這い上がりたくて這い上がりたくて必死になっている私としましては、まあ私とするなってハナシもあるんですが、この松岡さんの言葉ですら少々甘いのではないかと感じたりもするわけです、どうして崖の下に落ちているのは山口さんだけで自分たちは崖の下には落ちてないと思えるのでしょうか。
本題から脱線してしまいましたがともかくも、自分たちがどう思ったか、よりも、いち視聴者がこの会見を見るとどう思うか、そこを優先して語っていたのは松岡さんひとりに見えてしまうわけなんですよ、そうするとですねほかのメンバーもですね、カメラの前で泣きながらうっかり「TOKIOに戻れたらなあ」と口走ってしまった山口さんと本質はどこがちがうんでしょうかとそこが言いたかったわけです。
キツい言い方をすれば「キミたちの気持ちなんて聞いてない、どう対応するか、だけを聞きたいんだ」というのが、謝罪会見というものではないでしょうか。
にもかかわらず実は、ジャニーズメンバーの進退問題は必ず「グループ単位で気持ちを表明」という形をとらざるを得ないのです。
彼らが「十代で結成したグループのグループとしてのアイデンティティ」そのものを商売の糧にしている以上、謝罪会見という以前にファンに向けて「グループとしての気持ち」を、訴える必要があるのです。それが、渋谷すばるさんの件ではある程度功を奏したが、山口達也さんの件では謝罪会見として中途半端な結果を呼び込んでしまったのです。
アラフォーの男性が「十代で結成したグループのグループとしてのアイデンティティ」なんかを優先してたらいつまでも大人になれない。大人になりきれない大人は、ちょっとしたはずみで問題を起こす、不安定な大人になる。そう考えると、TOKIO以前に他のジャニーズメンバーたちも大丈夫なのかと、余計な心配をしてしまう次第です。以上です。